翅、傾ぐとき
蝶が風に舞ひつつ、紙のごとく道傍に落ちき。
陽は蝶照らし、蝶は後ろに陽を受けたりき。
陰が陽押し始め、子午線が蝶を二つに切り、ひとへに蝶は半身を二つの天下に浸せべかりき。
かくて陰は進みつつ、蝶を包みゆきき。
現代語訳
蝶が風に舞いながら、紙のように道傍に落ちた。
陽は蝶を照らし、蝶は背中で陽を受けていた。
陰が陽を押し始め、子午線が蝶を2つに切り、まるで蝶は半身を二つの世界に浸しているようだった。
そして陰は進みながら、蝶を包んでいった。
蝶の祠
祠を覗くと中はいたづらに見ゆれど、木漏れ日に舞ひつつ、中に一匹の蝶々ありき。
開けむや開けまいか迷ひたらば、扉が開きて、蝶々いできたり。
我が前舞ひ続け、いづらに案内すめり。蝶々の後を追はば、知らぬ道にきたり。蝶々は時々我が世間を回りつつ、進みゆく。一本道を進みし先に、突然蝶々は消えにけり。振り返ると道はなくなれり。
現代語訳
祠を覗くと中はがらんどうに見えたが、中で、1匹の蝶々が、差し込む光に舞っていた。
開けようかやめようか迷っていたら、扉が開いて、蝶々が出てきた。私の前を舞いながら、どこかに案内してくれるようだった。一本道を進んだ先で、突然蝶々は消えてしまった。振り返ると道はなくなっていた。
輪郭の蝶
輪郭ばかりに飛ぶ蝶あり。月が満ちゆくに従ひ、蝶の輪郭がさやかにしいき、望月の日には、麗しき綾携へ舞ふべく飛ぶ。月が欠けゆくにつれ綾は見えずなり、朔の日には、さまはあらねど羽ばたきの気色ばかりが伝はりく。住人どもは、その蝶を捕まへば透かして空見、虫かごに入れ観察しと、皆を魅了する蝶なり。
現代語訳
輪郭だけで飛ぶ蝶がいる。月が満ちていくに従い、蝶の輪郭がはっきりとしていき、満月の日には、美しい模様を携え舞うように飛ぶ。月が欠けていくにつれ模様は見えなくなり、朔の日には、姿はないが羽ばたきの気配だけが伝わってくる。住人たちは、その蝶を捕まえては透かして空を見てみたり、虫かごに入れて観察したりと、皆を魅了する蝶である。
声に乗る虫
丸く小さき黒きものが、林の上を飛べり。ひとへに、球を垂直に空に向かひて投げたるやのごとし。
さればいづこに飛びくるやとよくよく観察せると、ヒグラシの声のするに飛べべかりき。
声のがりやはら近寄りゆくと、ヒグラシは枝に掴まり鳴けり。
ヒグラシの横には、あまたの丸き小さきカメムシが一列に並びて枝に止まれり。
ヒグラシ鳴き止むと、並べる先頭のカメムシがヒグラシの頭に乗りき。
ヒグラシはそれ追ひ払ふこともなく、次に鳴くために、静かに息を整へたべかりき。
とばかり見たると、突然、ヒグラシ鳴きいだしき。その声に放たれためり、カメムシは羽を開かぬまま、
勢いよく林の上まで飛びて、そこよりは自力に飛びそめき。声に乗ることに、カメムシはとさと程を得てあべかりき。
幾匹かのカメムシは、ついでにヒグラシの声に乗れど、ヒグラシ全く鳴くことをやむと、
残りて並べるカメムシどもは皆、おのがじしの羽に飛びゆきにけり。
現代語訳
丸く小さい黒いものが、林の上を飛んでいる。まるで、ボールを垂直に空に向かって投げているかのようである。
一体どこで飛んでくるのかとよくよく観察していると、ヒグラシの声がする方向で飛んでいるようだった。
声の元にそっと近寄っていくと、ヒグラシは枝に掴まり鳴いていた。
ヒグラシの横には、たくさんの丸い小さなカメムシが一列に並んで枝に止まっていた。
ヒグラシが鳴き止むと、並んでいた先頭のカメムシがヒグラシの頭に乗った。
ヒグラシはそれを追い払うこともなく、次に鳴くために、静かに息を整えているようだった。
しばらく見ていると、突然、ヒグラシが鳴き出した。その声で発射されたように、
カメムシは羽を開かないまま、勢いよく林の上まで飛んで、そこからは自力で飛び始めた。
声に乗ることで、カメムシは速さと距離を得ているようだった。
幾匹かのカメムシは、順番にヒグラシの声に乗ったが、ヒグラシが完全に鳴くことをやめると、
残って並んでいたカメムシ達は皆、それぞれの羽で飛んでいってしまった。
あめんぼの影踏み
夜、井戸に、あめんぼが二匹ありき。上より入る月の光が、あめんぼの影作り、あめんぼ達は、背伸びし、片足あげと、水面に映るおのれの影に夢中なりき。やうやう月高くなると、長く伸びこしかたみの影つつき合ひはじめ、かたきの影に体乗っけすれば、水面の波紋は大きになりき。井戸の上を鳥が通り、大いなる影が水面を横切ると、あめんぼ達は驚きて、今のは何なりしやを語らひたりためりき。 月が井戸を通り過ぎ、光が水面に射さずなると、あめんぼ達は遊びやめ、水面に静かに浮かべり。
現代語訳
夜、井戸の中に、あめんぼが二匹いた。上から入る月の光が、あめんぼの影を作り、あめんぼ達は、背伸びをしたり、片足をあげてみたりと、水面に映る自分の影に夢中であった。次第に月が高くなると、長く伸びてきた互いの影をつつき合いはじめ、相手の影に体を乗っけたりするので、水面の波紋は大きくなった。井戸の上を鳥が通り、大きな影が水面を横切ると、あめんぼ達は驚いて、今のは何だったのかを話し合っていたようだった。 月が井戸を通り過ぎ、光が水面に射さなくなると、あめんぼ達は遊びをやめて、水面に静かに浮かんでいた。
新芽の背伸び
春になり、土の中より小さき新芽が顔をいだしき。大人の草木どもが、風浴びさらさらと音を立てたるを見し新芽は、胸を張りて背伸びせり。
すと、風が新芽に気がつきて、さらりと新芽を撫でゆきき。
現代語訳
春になり、土の中から小さな新芽が顔を出しました。大人の草木達が、風を浴びてさらさらと音を立てているのを見た新芽は、胸を張って背伸びをしました。
すると、風が新芽に気がついて、さらりと新芽を撫でていきました。
ヤスデの添い寝
畳の上を歩むヤスデを、つままば外にいだせり。そのかたはらよりまた違ふヤスデが畳の上を歩めり。ヤスデをつまみていだすそれ繰り返ししより、布団敷き、蚊帳を吊りき。布団に入り、少し経ると、視界に一匹のヤスデ入りきたり。見たると、ヤスデは蚊帳のひまとぶらひ、見つけしひまより蚊帳に入りきたり。はじめは指に弾きて蚊帳の外にいだしたれど、幾度も蚊帳に入りこば、畳の上に丸くなれるばかりに、布団に上がりくるけしきもあらねばやがて眠ることにせり。
あしたが来れば、ヤスデはいまだ丸まれり。蚊帳を収めそむと、ヤスデは体伸ばし、そそくさと畳の上を歩みそめき。
次の日も、蚊帳を吊ると、蚊帳に入りきて丸くなる。あしたになり蚊帳を収めそむと、ヤスデは動きいだす。葉月になると、ヤスデのさまはなくなりき。
現代語訳
畳の上を歩くヤスデを、つまんでは外に出していた。そのそばからまた違うヤスデが畳の上を歩いている。ヤスデをつまんで出すそれを繰り返してから、布団を敷き、蚊帳を吊った。布団に入り、少し経つと、視界に一匹のヤスデが入ってきた。見ていると、ヤスデは蚊帳の隙間を探し、見つけた隙間から蚊帳の中に入ってきた。はじめは指で弾いて蚊帳の外に出していたが、何度も蚊帳に入ってきては、畳の上で丸くなっているだけで、布団に上がってくる様子もないのでそのまま眠ることにした。
朝が来て見てみると、ヤスデはまだ丸まっている。蚊帳を片付けはじめると、ヤスデは体を伸ばし、そそくさと畳の上を歩きだした。
次の日も、蚊帳を吊ると、蚊帳の中に入ってきて丸くなる。朝になり蚊帳を片付けはじめると、ヤスデは動き出す。八月になると、ヤスデの姿はなくなった。
読み魚(よみうお)
平らに長き体をひらひらと細かく波打たせつつ泳ぐ魚あり。そこには、小魚が数多群れたりき。平らなる魚には、全身に手書かれおり、はたそは海中なる消息なりき。
魚どもはこぞりて、その旨を見る料にすだき、平らなる魚は、小魚が一定数すだくと、皆に読みやすかるべく垂直になり、海中に止めき。あるきは時間を置ききいと、平らなる魚は泳ぎいだし、小魚どもは去にゆきき。かくて平らなる魚は、消息を集めに海中奔走し、新たなる海中の消息を得き。
現代語訳
平らで長い体をひらひらと細かく波打たせながら泳ぐ魚がいる。そこには、小魚が多数群れていた。平らな魚には、全身に文字が書かれており、どうやらそれは海中における情報であった。
魚達はこぞって、その内容を見る為に集まり、平らな魚は、小魚が一定数集まると、皆に読みやすいように垂直になり、海中で停止した。ある程度時間を置いたあと、平らな魚は泳ぎ出し、小魚達は去っていった。そして平らな魚は、情報を集めに海中を奔走し、新たな海中での情報を得た。